ちょっと寒いけど、バイクを飛ばして銭湯に行ってきました。

久しぶりの銭湯です。夜遅く行くと疲れてて、あまり長湯はできませんがやはりきもちいいです。
今日もまた、異星人は存在するかという問題について、19世紀ごろのさまざまな言説について考えていました。マイケル・クロウの『地球外生命論争』については、これまで何度も言及しましたが、――ていうかこの一ヶ月この本ばかり読んでいますが――クロウ自身は宇宙観がどのような歴史的変遷を遂げていったのかということを中心的課題としているようです。わたしとしては、むしろ宇宙観を構築していく際にどうしても入り込む憶測や妄信がどこから来ているのかということに関心があります。今度の学会発表では、人間の魂についての探求が進むにつれ、その不死性が疑われ始め、それと同時にこれまで天国と同義だったはずの宇宙に、実はほかの生物もすんでいるんじゃないかと考えられてきた時期の人々の困惑や恐怖について話そうと考えています。
天体望遠鏡で火星を熱心に観察して、現代の写真技術が到底写すことのできないような、詳細な火星地図を作る人がいると同時に、火星や金星などの惑星や遠い宇宙空間こそが、死後の人間の魂が行き着く場所だと考えた人もいます。これはいったいどういうことなのでしょうか。この宇宙空間がどうして存在しているのか、という問題は現代のわたしたちにもわかりません。19世紀末の人々は、地球上でのさまざまな出来事に影響されつつ、宇宙空間についてもわたしたち以上に真剣に悩み、荒唐無稽な想像を膨らませたのです。ここから、現代のわたしたちの思考の基盤となる何かをつかみ出すことができるのではないか、というのがわたしの研究の目標です。
このところ、同じことばかり書いている気がしてつらいです。やっぱりあまり研究が進んでいないからでしょうか。