真夜中の電話

気になるし心配だけど聞けないことってあるよね。
聞いたところで受け止められない現実については
できるだけ目を閉じていたほうが楽だし。

昨晩は研究会の忘年会があり、
12時ごろに帰宅したんだけれど、
いろんな人の話を聞いてるうちにすっかり人疲れしてしまい
早めに寝ていたんだ。

酔って寝てしまう日ってたいてい夜中に目が覚める。
中途半端な時間に起きちまったと、
ふたたび布団に戻ろうとしたところで友人から電話。
もう4時とかそんな時間だ。

どうも昨晩会った先輩たちが何人かで飲んでいて警察の
お世話になったらしい。おれも思い出したくない記憶があるので
できればこの問題にはかかわりたくないのだが、
大方だれがどんな目に遭ったのかは想像がつく。
心配だけど、知らんほうがいいことじゃないか。
たぶん何とかなっていると祈りながら忘れることにするよ。

腰痛い

月末までのカウントダウン。いよいよもう残りわずか。
それだっていうのに、原稿は実質まだ半分くらいしかできあがってない。
ああもう。絶望だ。何が絶望って、この論文、見どころがねえよ。
とりあえず審査だけしてもらうということを第一の目標にしよう。
やっぱりおれの研究、まだ形にならないんだ。
あと1年くらいしないと、この資料ぜんぶ読みこなして論文にするのなんて
無理なんじゃないかと思う。そう思いながらこの1年半あたためてきた
テーマだったのに。

もう腰痛い。

ひさしぶり

に、ぶりっと更新するわけですよ。半年間はてなで日記をつけてきましたが、ふとした心変わりで、ライブドアブログをはじめました。まだ試行錯誤の段階ですが、しばらく使ってみようかな、と思っています。今週末に本格的にしもつかれをつくります。今日はそのための道具を手に入れました。まずそうな料理マニアのみなさん、ぜひご期待ください。http://blog.livedoor.jp/kummernis/

今日は別の場所に

ライブドアブログに、今日つくった料理の写真を載せました。大きい写真で煮えたぎる「日本一のゲキマズ郷土料理」の様子を見ることができます。どうぞよろしく。http://blog.livedoor.jp/kummernis/

風呂

に入ってるといろんなことを考えますが、残念ながら出てきたころにはほとんど何も覚えていません。あの銭湯、レテ川の水使ってんのか?まあ、肩こりがマシになったのでよしとしておきましょう。
10時半ごろまで、論文の手直しをやっていました。前回の修正のときはいろんな行事でばたばたしていた時期だったので、ほとんど何もできなかったけど、今回また一ヶ月たって原稿を見るといろんなことを考えます。本来はかなり丁寧に説明しないとちゃんと伝わらないはずのことが、思いっきり簡単に流してあったりする箇所が、いくつも見つかりました。明日はそれをできる限り直すつもりです。
この一ヶ月間、上旬にゼミ発表の勉強をしたものの、自分自身の研究につながるような勉強はほとんど何もしていませんでした。そして忘れたころに、学会から発表の申し込みが承認されたとの手紙をもらいました。これで夏休みの予定ができて、一安心、といったところですが、一ヶ月前にでっち上げた発表内容の計画書から何一つ進展していないことを思い出しました。学会からの手紙によると、再来週までに発表題目の修正を届け出なければならないとのこと。題目の修正って、修正するほど進んでないです。前回春の学会に申し込んだときは、去年の年末に計画書を送って、一月の末に学会から返事が来ました。その後2月の半ばに題目の修正を送ったはずです。そのときもまだ何にも進んでないのに、どうしようとあせった記憶があります。何てことでしょう。前回の反省や教訓が何一つ生かされていません。ていうか、今年初めのだらけ具合に比べて、この一ヶ月のほうがもっと激しくだらけています。リラックマの絵なんて書いてる場合じゃありません。早いとこ、新しい研究テーマを掘り下げていかなければなりません。
封筒を開けて、手紙を読んでからおろおろしっぱなしだったので、落ち着くためにとりあえず焼酎を飲みます。昨日買ったばかりなのにもうなくなりそうだ。300mlなんてあっというまですね。今度は一升瓶で買います。リカーマウンテンに行かないと。

なぜか

眠れません。あせっているわけではないけど、気持ちが落ち着かなくて寝付けません。仕方ないから焼酎を飲み始めました。こういうときに考えるのは、いつも明日以後の予定のことです。思えば、今月はこれといって学問的な活動をほとんどしていませんでした。ゼミ発表をして、そのあとは非常勤とドイツ語の集中講座。夏休みの論文、秋の学会、まだまだやるべきことは山積みなのに、何も進んでいません。自分では、今月は休みなんだと思うことにしていましたが、ふと周りを見回せば、みんな次の仕事に追われています。このまま休みぐせがついてしまうと夏休み以後をふいにしてしまいかねないので、気持ちを入れ替えなければなりません。
夜に、星里もちるの『本気のしるし』*1を全巻一気読みしました。先日ブクオフで見かけて面白そうだったので、ネット古書店で買いました。物語の展開がよくできていて楽しめました。仕事にも恋愛にも、本気になれず、いつも回りの人間を傷つけてばかりいる主人公になぜか共感できました。この作品のテーマは、愛し方のわからなさ、愛され方の難しさなのかなと思います。とくに重要なのは後者です。人から好かれるのなんてめんどくさくていやなものだけど、一人の寂しさを感じるのもイヤだ。本気で好きな人じゃないから拒絶するよりは、好きじゃなくても相手の物語に波長を合わせたほうがどちらのためにも気持ちがいい。主人公同様、わたしもいつもそんな風に考えています。演出過剰な教師であるのも、そのひとつの現れです。この漫画そのものは、結局新たな場所を見つけてハッピーエンドにいたるのですが、ドロドロの愛憎劇は、読者の心に残ります。
ネットで星里もちる氏について調べてみましたが、わたしは中学生ごろから兄の影響もあったりして、この人の作品はけっこう読んでることを思い出しました。やはり思い出深いのは、ちょうど高校生のころに読んでいた「りびんぐゲーム」ですが、それ以外にも2,3年周期で作品を完成させています。読み始めたころは、絵のかわいさが売りだけど、ストーリーはちょっと甘いかな、と思ってたけど、どれもなかなかよくできています。こういう人もいるんですね。

夕方から大学に戻り

文献探しを進める傍ら、薬師院仁志先生の『英語を学べばバカになる』*1という本を読んでました。著者は教育学者ですが、わたしたちのような非英語系外国文化を選考している人間が常々感じているさまざまな不満を、いくつもの論点からわかりやすく整理し、日本の英語偏重政策を批判しています。ただひとつ不満が残ったのは、人は必要に迫られて外国語を勉強するのか、という点です。筆者の主張の背後には、日本人の多くにとって英語など必要ないのだからわざわざ勉強する必要などない、という考え方があります。これは事実でしょう。わたし自身、自分が専門としているドイツ語など、現地に行かない限りまず役に立たないと思っています。しかしこういってしまえば、英語だけじゃなく他の外国語を勉強する必要もないし、そもそも大学の勉強などまったく不要な、欧米諸国のサルマネにすぎないもの、ということになってしまうのではないでしょうか。
わたしは中学・高校と英語が好きで、得意科目でした。アメリカに行きたいとも、アメリカ人と仲良くしたいとも思ったことは一度もありませんでしたが、陸の牢獄に閉ざされた北関東の田舎町に育ったわたしにとって、英語を音読し、英語の世界に身を浸すことは、果てのない平野からのたった一つの出口だったのだと思います。筆者は日本一の移民都市大阪の出身だから、このわたしとはだいぶ外国語に対する感じ方が違うでしょうが、わたしとおなじように、他の世界への憧れとして外国語を学ぶ人はたくさんいるはずです。いやおそらく、多くの英語ができれば何とかなると考えている人たちって、みんな日本での出口のなさから、英語に夢を抱いているだけなんじゃないか、とも思えてきます。外国語なんて必要ない、と頭ではわかっているけど、できれば日本以外の世界とつながりたい。少なくともつながれる可能性がほしい、そういった思いが外国語学習の根幹にあるような気がします。

*1:

英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想 (光文社新書)

英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想 (光文社新書)