体操

の思想について調べています。体操といえば、国家に奉仕する肉体の形成、あるいは国家公認の一元的な身体の形成とかいう文脈で語られがちですが、世の中には「体育哲学」などという学問領域もあります。しかし、これまで体操の思想的、市民文化的側面についてはあまり研究がなされてきませんでした。たしかに、どの体操家*1も富国強兵のための体操の利用について言及していますが、それだけのために、人はあれほど熱心に体操をするものでしょうか。19世紀はじめのドイツでは、政府の禁止令にそむいて地下活動をする体操愛好者が多数いました。大正・昭和初期の日本では、原っぱで体操をするために、朝の3時に起きる若者たちがいました。現在の日本では、都庁の広場に数百人が集まってラジオ体操祭りを行っています。この過剰さ。なぜだかわからないけど、どんどんエスカレートして個人の健康も富国強兵もどうでもよくなってしまう「宇宙の律動」なんていい始めてしまう*2盛り上がり。これを無視して体操研究はできません。
というわけでわたしは、体操における過剰な思想について研究しています。研究内容について多少書くつもりでしたが、もう今夜も遅いので、明日また書くことにします。
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*1:体操の開発および啓蒙活動に励む人。19世紀のドイツにはたくさんいました。

*2:ラジオ体操作成者の遠山喜一郎氏の言葉。この本を参照

素晴らしきラジオ体操 (小学館文庫)

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