それはそうと

高田里惠子先生の新刊が出たので、さっそく昨日よみました。*1前に読んだ『文学部をめぐる病』*2が大変おもしろかったので期待していましたが、残念ながら、あまりその趣旨に賛同できないと感じました。筆者はみずから教養主義者を自認していますが、いったいいまごろ、どんな教養を身につけるべきだと考えているのでしょう。この本からは、教養主義の否定的な面ばかり見えてきます。筆者としては、この否定的な教養主義者たちの本を読み、「いやーな気持ち」になり、その先にある希望をつかんでほしい、と思っているのかもしれません。わたしは、教養主義の本場である独文学を学んできましたが、残念ながらいつまでたっても教養は身につかないし、いつまでたっても反教養主義者です。フロイトやカントやヘーゲルがさっぱりわからなくても困ることはまったくありませんし、引け目を感じる必要もありません。そんな教養をありがたがる暇があったら、数学や英語、それからコンピュータの勉強でもしたほうがいいでしょう。どれもこれもわたしにできないものばかりなわけですが。
最近流行の教養主義研究ですが、一番不満なのは、近代日本の、とりわけ戦後の知識社会を形成してきた最大勢力である、工学部や理科系実学の分野において教養がどのように考えられていたのか、ということをまったく視野に入れていないという点です。*3以前写真を載せたわたしの祖父は、東北帝大工学部出身で、ばりばりの軍国主義者でした。祖父がなぜ、率先して戦闘機製作の技術を学ぼうとしたのか、祖父は軍事技術者として生きることに、どのような使命感を見出したのか、ということが、祖父が亡くなって以来ずっと気がかりでした。
何かいい参考文献はないものでしょうか。やはり誰もやっていないなら、自分で研究するしかないのかもしれませんね。

*1:

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

グロテスクな教養 (ちくま新書(539))

*2:

文学部をめぐる病い?教養主義・ナチス・旧制高校

文学部をめぐる病い?教養主義・ナチス・旧制高校

*3:京大の竹内洋先生は、イカ京について言及していますが、かつてイカ京と呼ばれ、現在はちゃらちゃら遊んでいるふりをしている京大生の3分の1は工学部生なのです。彼らがどのように教養主義に対処したのか、そして現在はどうなのかということは、無視できない問題であると思うのですが。